自己啓発本 意味がない 役に立たない

読んだことがないですが、読むまでもないと思いますよ

┃はじめに

自己啓発本より先に、民法や刑法の本をよく読むことが何よりも本人の為になると思います。

日本国内のことは、法律により支配されています。ルールとして存在する法令を学ぶことにより、何をしてもよく、何をしたらダメなのか?を知ることが出来ます。

そしてこの前提のルールを知らないで出来ることは少ないです。

法の不知はこれを許さず。という言葉があるとおり、知らなかったことを理由として、罪を免除されることはありません。

ルールを知らずに球技をすることはできませんよね?それと同じようにルール(法律)を知らずに自己啓発もできないと私は思います。

┃自己啓発の意味

自己啓発(じこけいはつ)とは、自己人間としてより高い段階へ上昇させようとする行為である。「より高い能力」、「より大きい成功」、「より充実した生き方」、「より優れた人格」などの獲得を目指す

Wikiによると上記が自己啓発の意味です。

┃本の意味がない理由

走り出し方、スタートラインが誤っています。

まず本を読んでそれが自己啓発になるのか?といえば他力本願です。本に記載してある内容が仮にあなたには不可能な内容、難しい内容であれば、その本にある自己啓発は失敗に終わります。

そして自己啓発本の中身にあるものは、著者の主観に基づいた意見であり、著者と同じ状態が前提にありエッセイと同じではないでしょうか。

そして著者の知識はどのようなものなのでしょうか?著者の判断や行動の適当である合理的な理由も明示されているのでしょうか?

もし著者が法令を一切知らず、自分で好き勝手に書いていて、検閲をしたスタッフも分かっておらず、挙句に読者も適当な判断をするに足りる教養がない場合、リスクでしかないのではないでしょうか。

┃役に立たない意味

Wikiの引用にある通りです。自分自身と向き合ってより高みを目指す事が自己啓発なので、10人10色とある通り他人のやり方が合うとは限りません。

もっと言ってしまうのなら、他人の自己啓発はあなたにとって自己啓発になるとも限りません。

┃必要なことは自己啓発よりも学ぶことでは?

より高い能力を得るために
より大きな成功を得るために
より充実した生き方を得るために
より優れた人格となるために

これら自己啓発を実現するためには、学ぶことが全てだと思います。

高い能力のために自己が目指す何かを学ぶのも適当だと思います。
大きな成功を得るために自己が学んだ能力を利用することも適当です。

充実した生き方のために、自己が学び得た無限資産を使い、人々の役に立とうとするのも適当だと思います。

より優れた人格者となるために、自己の無限資産を格安で提供をするというのもありですよね。

上記は一例ですが、自己啓発のためではなくとも、結果的に自己啓発になるような事柄は多くあると思います。

┃自己啓発本やセミナーは逆効果?

私の視点のため異議はあると思いますが

自己啓発は自己の啓発です。

自己でできないため、自己のことを人任せにし「本」を買って読むこと、「セミナー」に参加すること

これは新興宗教にハマる自力で考えることが出来ない人と同じに私は感じます。(自己で考えることが出来ない人の苦しみを軽くするという意味では宗教に意味があると私は思います。)

自分自身のことを自分で出来れば自己啓発を他人任せにする必要なく、宗教も必要ありません。日本で宗教が必要ない理由は、法治国家であり宗教国家ではないためです。

┃意味がありそうな自己啓発本

否定ばかりでは意味がないため意味がありそうな内容をイメージします。

このような本があれば自己啓発の役に立つと思います。

・考え方を教えてくれる本

自己啓発の仕方として、
・現在の状況の整理
・目指すべき目標の見つけ方
・実現可能なステップアップ

こういった内容を実例に当てはめつつ記載があれば役に立つかもしれませんね。

読んだことが全くないのであるのかもしれませんが、自己啓発とはあくまでも「自己」のものです。

他人の考えや他人のやり方を真似れば自己啓発ができるわけではなく、自己の頭で考えて目標達成のために必要なことを考えず、真似をしているだけで意味がないことがあります。

┃自己啓発のランキングをみてみました

変なタイトルが沢山並んでいますね。

こういった本は無教養の人にとっては危険なモノもあると感じました。

タイトルだけでみていて、中身を読んでいないことが前提です。

例として

・何もしない勇気
・嫌われる勇気

が目につきました。

嫌われる勇気を持つというのは、本に関係なく私自身も独自に感じたことがあります。正しい状況であっても、わがままな人、理不尽な人は間違っていてもお構いなしです。そういった相手であれば、嫌われる勇気を以て拒否をすることも必要です。それは自分自身が損害を被らないために必要なことで身を守るためのことです。

そして能力がある人が嫌われる勇気を以て、他人と接し、実際に嫌われてしまうようなことがあれば、孤立や支援が得られない結果になります。能力がある人なら嫌われても困りません。しかし能力がない人はどうでしょうか?

能力がない人が嫌われることで支援も得られなければ、自己啓発のつもりがただの横暴になり自分自身を追い詰める結果にもなりえそうです。

何もしない勇気も同様です。何もしないということが認められる場合もあれば、認められない場合もあります。

教養として認められないことを無教養の読者がしてしまった場合、コミュニケーションの能力が高くない結果等、今ある均衡やバランスを壊してしまうことや場合によっては義務に基づくものをしないということも認められません。

何もしない勇気を持つ前に、法律上の義務にあたる最低限の教養を身に着けていないと危険なのでは?と思いました。

嫌われる勇気も同様に最低限の教養にあたる学がないことは危険だと思います。

 

そして基本的にこういった自己啓発の本は、成功事例や推測を書くもので、失敗事例をまとめているのでしょうか?

どうしたら失敗してしまった、という事例が沢山並んでいれば、その内容から精査して読者が実現のために改善を加え実現に向かうことが出来ますが、自己啓発の本を読んでいる人に話を聞くところによると

自己啓発のための成功事例や目標を書いていることが大半で失敗が書かれていることはないそうです。

必要なものは「とある人が成功した事例」ではなく、沢山の失敗事例が書かれている本が役に立つのではないでしょうか。

以上により、本稿1行目にあるとおり「読んだことがないですが、読むまでもないと思いますよ」と私の見解はなります。

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