読書 文章力 表現力 得られる 得られない

読書から文章力、学べるのか?はその人次第です。

本 新聞 読んでも 頭は良くならない

┃はじめに

ネガティブな言葉で検索して来られる方が多いです。

読書家に対して思うことは皆さん同じようです。以前書いた記事の閲覧が定期的にある次第です。

今回は読書によって期待される効果についてです。結論は既に本稿一行目に記載の通りです。その人次第というのは、一般的に何に対しても言われますがその通りです。

出来る人学べる人活かせる人とは、そのための視点を以て挑んでいるからできるようになります。勉強のやり方がわからない人がいつまでたっても点数が取れず勉強が出来ず、成果結果を得られないことと同じで、努力をする上での方向性が大切なんです。

丨文章力を付けるための読書

「文章力を付ける勉強」の本があれば、読書としてではなく勉強としてしましょう。

頭の悪い読書家とは、勉強を伴わない読書をしているから頭が悪いんです。参考書を理解する為に問題を解きながら勉強することと、ただ参考書を読んでるだけで「なんでこうなるのか?」と疑問解決の為に学ばず読むだけなら読書です。

文章力は表現力でもあるので一切の本を読まなくても沢山の人と接して話すことで相手から学ぶこともできます。勉強とは「ただ本を読むだけ」で身につくものではありません。読み考え生み出すこと。

1.読まない
2.調べない
3.試さない
4.理解力が足らない
5.人を利用するしか頭にない

出来ない人の5原則ですね。

┃読書のついでに学べているかの確認

もし読書が勉強になる、頭が良くなる、文章力がつくというのなら確認してみるとよいのではないでしょうか?

確認する相手は、
1.勉強になるという人
2.特に何も言わない人
3.そのほか

様々な人に尋ねてサンプル集めてください。

ここ最近では何冊くらい読みましたか?
読んだ本で面白かった本はありますか?
面白かった本はどのような内容ですか?
読んだ本でつまらなかった本はありますか?
つまらなかった本はどのような内容ですか?
読んだ本で理解できなかった本はありますか?
理解できなかった本の内容はどのようなことですか?
読んだ本で人にオススメできる本はありますか?

このように尋ねた時に全ての質問をしっかり答えられるか?が勉強になり身に付いているかが全てです。

本を読む趣味、読書家なら答えられないわけないですよね。読んでいるようで読んでいない、文字を目で追っているだけなら答えられないかもしれませんね。読書家ではない私ですら昔読んだ本から
・民法総則でとか
・憲法でとか
・発達心理学で
・業務研究における青色LEDの本で
とか出てきちゃいますよ。この間5分もないです。それだけ読んでいないといえばその通りで引き出しが少ないので選ぶ必要もないわけですが、沢山の本を読む読書家の人なら良かった作品があれば著者を覚えてファンになることもあるでしょうし、この人の技術書はわかりやすかったとか、この人の参考書は解説になっていない!とかあっさり出るのが当然のはずです。

読書に関係なく普段から頭が良いと思われるような方は、勉強のつもりで読んでいなくとも、全て答えられるはずですよね。逆に答えられないというのは、身についていない、覚えていない考えて読んでいない、文字を目で追いかけているだけ?という疑問になってしまいませんか。

丨目的

様々な見識を広げる為に読むなら、人それぞれ考え方があります。読んだ本の主張が合わないことも当然なことですよね?
その当然なことが無いといえばリテラシーがなく、テレビから垂れ流される情報に洗脳されてしまい「頭を使う、考えること」ができない人と変わりありません。

勉強の目的に読書をしていれば、尋ねられた質問に答えられないということは「なにも身に付いていない」ということにもなれば、無駄な出費を繰り返していることになってしまいます。(経済貢献にはとても良い)

理解できなかった本の質問に対する返答
・理解しようとした
・何が理解できなかったか
・または、読むのを辞めた理由

この要件がなかった場合、
1.学べず
2.学ぼうとせず
3.投げ出した理由が気持ちの問題なら好きなことしかできず
4.勉強のつもりなら途中放棄となり
5.最後までやり遂げられない

ということにもなり得ます。もちろん理解できないことは理解できないので最後までやり遂げられるか?までは長期間に及ぶことがあるのでどのくらいの期間継続できたのか?も重要な要素と思います。

私の趣味にある法律関係は全く飽きる気配もないですが理解できないことも多いので長期間に及んでいます。そしてこれは一生答えを私は出せず、得られず、理解納得の頂にたどり着けないのでは?と思いながら当初の目的と変わり「考えることを楽しむ」となっています。

丨同じ本を何度も読む

再発見もありますが、さっぱり忘れているから読み直すという場合は身に付いていないから読み直す必要があります。

もちろん法律関連、新しい技術や論文等々、膨大な量の見識や判例、多面的な見方を頭に入れ切ることは難しいのでど忘れや再確認のために必要なところを何度も読むことは当然かと思います。

丨面接で考えると

私が面接官なら
読書の趣味の人には本稿の質問をします。質問の結果、1から5を確認し判断します。仕事を覚えることも勉強です。

読書という「自分から選択すること」も趣味としてでもやり遂げられない人は、食べる為、生きていく為に仕事を学ぶことができるのか?を確認する上でも大いに役立つ判断材料ではないでしょうか?

本を読んでいない人は論外というわけではなく別の件で質問、確認することがあります。読書していれば優秀ではなく勉強しているなら学ぶ姿勢があり身に付いているなら自然なことです。

学んだ内容を応用、活用できる能力がありそうか?というテーマは読書家の方が面接にいらしたら確認はできちゃいますよね。なので趣味に読書と書くのは、実は求められる基準が高まるのでは?と私は思います。

┃批判されてしまう読書家

読書家で頭が悪いと思われてしまう人や本稿の文章力の低いと思われてしまう読書家は、努力の方向音痴の結果なんだと思います。私は一切読書をしていないため、読書家の人より確実に読みづらい文章なのか?といえばそういうわけでもないそうです。というのは私の知人に読んで確認してもらったからという狭い世界での比較材料です。

中身が薄っぺらく、何を言いたいかわからず、はっきりしていない文章に比べれば辛辣すぎる気はするけどはっきりしていて根拠も明確だから考えに触れやすく表現力も強烈さを与える意味では記憶に残りやすく、ある意味では良いかも、なんて評価いただきました。

昔から言われる言葉ですが、「右耳から左耳」や「馬の耳に念仏」等冗談で笑いながら聞く(私だけかも?)言葉ですがこの言葉は「出来ない読書家」に限りませんが、無駄、無意味なことを表現することに対し「的を射ている」言葉でやっぱり昔の表現に奥深さを私は感じます。

それ以外でも、コミュニケーションの1つとしては、感情的に怒らず叱らず笑顔で笑いながら伝えていることを客観的にみていると「笑ってもらえているうちになんとかしろよ。」という威圧感を私は感じます。実際にダメな人(本稿ではできない読書家が該当)というのは言葉や感情の裏まで考える頭を持ち合わせていないので「怒られていない、叱られていないから問題なし」と判断する人が多いため、客観的にこれから生まれると予見できるその人の行く末を案じ、恐怖を感じることが多いです。

 

 

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