学校教育 問題点

最近教育委員会と学校に問い合わせて思ったこと。

丨言葉狩り

学校教育では「いじめ」と言う言葉があると不名誉なことで学校にとって信用毀損にもなることからか、今の時代では「いじめ」という言葉を使わないそうです。

実態として。

丨謝ったから許してあげよう

これも多いですよね。私もそういう教育だったのを覚えています。

実社会では全く通用しない意味不明なものの筆頭かもしれませんね。

そもそも被害者に請求権があるので、謝ったんだから請求権を放棄しなさいっていうことで、一体どんな権利があって被害者の権利を侵害しているんでしょうね。

丨原因

教師になる人が法令上の知識を持ち合わせていないこと

・民法
・刑法
・学校教育法
・児童福祉法
・条例

これら抜けている思慮分別が学校で教鞭を振るう教員の基準です。物事の判断力が全く無い結果、淫行条例に抵触をしたり、着替えの盗撮等繰り返すんでしょうね、と思うようなことばかりです。

丨お互いを尊重しよう

という上から目線の問題点を見ていない意味不明な指摘の結果、ブーメランになっていることにも気がついていない教員がとても滑稽に私は思います。

お互いを尊重しろ、と言っている結果、発言している教員自身が尊重できてないわけで、全くもって手本にすらなれていないですよね。

年上を敬え、年下なんだから。というのは本来処世術としてのものだと思います。なぜなら先輩にあたる人が既に習ったものを習得しているため、わからない時に先輩を頼り、できないことをできるように教えてもらう、取り入れるための処世術ではないでしょうか。

実際社会出れば、自分より年下の上司、役員、社長、客なんてありふれてますよね。

思考停止しているまま教員が一方的に、理不尽にこういった主張をしてしまう結果、教師の評価がガタ落ちし、今現在につながる学校への批判の種だったのではないかな?と感じたりもします。

個人的にはみてみたいです。「年上だから」や「年下だから」という理由で裁判官や検察等、判断を下す方々にどのような変化があるのか興味あります。

丨方針・指針を作るところから問題

良い環境であることは大切なことですが、問題が起こってしまったときに改善しましょう、解決しましょうと進むとき

必要なのは仲裁です。仲裁とは裁判です。

学校教育の中では、その裁判長、裁判官にあたる役割を教員が務めますが、全く以って合理的では無く意味不明な感情論等、社会で通用しない意味不明なことをのたまいます。

その点を指摘されることでとてもやり辛そうでしたが、学校の中とはいえ、治外法権ではないので、どうにも仕方ないんですよね。

しっかりと学んだ人が教育者になってほしいですが、そういった法的な仲裁にあたる分野を全く学んでいない人、専門外の人が予備知識なく行うため解決にいたらず、事態をより深刻にしている実情もあると思います。

※少なくとも私が知っている内容ではです。

丨教員用相談窓口

全くつかわれていないようですねー。

教員が判断に迷ったとき困ったときに相談できるようなのですが、一切利用せず連れ回しをしたり研修で禁止されていることもしちゃう実態があります。

丨学校側は常に後手

なんとかしたいようですが、その手段自体がなんの解決にもならない「つらい」と言っている人のケアとなっているため、声が大きな人が優先される状態になっています。

モンスターペアレンツ以上に問題なのは、甘やかされて育っているモンスタースチューデントのようですね。

後手になるのも教育委員会の指針として決まっている対応が大きく邪魔をしてそうですねー。

ナポレオンの格言にある「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である」とあるように、社会で通じる知識を持ち合わせないものが指導者となること

そして駒として動く教員自体もしっかりとした知識を持っておらず、誤った判断と誤った行動を繰り返し、自体を悪化させる。

無知が指示し、無知が執行し、問題がより深刻に長期化し後手になっていく、という状態に私は見えました。私はですよ。

丨10代のころに

「あなた先輩なんだから奢ってあげなさいよ」と体育教師志望の人に言われたことがあります。

それ強要罪ですよ。義務もないことを要求ですから。

あなたは私の先輩だけど奢ってもらったことないので、私と後輩の分も先輩の言葉を借りるなら「先輩なんだから奢ってあげる」べきなんじゃないですか?

と伝え、それ以降私に近づかなくなったことを思い出しました。

こういった人が教員になるんですから、教員として資格を与える際に試すべき内容をしっかり見直すべきじゃないかな、と思います。

投稿者: みずがめ座

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