興味のない本は読まなくても良いんじゃない?

私は読書家と勘違いされることがあります。

┃本にあることが正しいとは限らない

否定しているわけではないです、私の中にある本のイメージは、教科書に近いです。

例えば歴史認識でも、算数(数学)でも理科でもなんでも、既に出来上がっているものの刷り込み、洗脳をされるためのものに感じます。

悪いこととは全く思っていませんが、興味のない洗脳されるためのものは読む気になれないです。漫画も本の一部だと思いますが、娯楽ですよね。ベストセラーなんかもそうかもしれません。

本の内容が偏っていたり間違っているではないと思います。読む人の趣向が最初から偏った選択をしているのかもしれません。

 

┃インターネットの利用

多分みなさんは「興味を持ったこと」を検索します。私もそうです。このページをみてる人、辿り着く人の検索ワードってある程度わかってるのですが、「情報を探しに能動的に利用して訪問してますよね」

欲しい情報(興味あること)以外求めてないですよね。広告とか邪魔や!ってきっと思ってますよね。ごめんなさい。広告は実験のためにも消せません。

┃本を読むと?

自己開示と物知りになりますよね。もちろん知らないより知っていた方がいいと思います。

けど人は、気になったものを調べ、学び、知り、得た知識を「話題」にします。この時わかりやすいのは、その人の趣味や傾向が話題になるので、それがそのひとの自己開示です。

話はあるものではなく、作るもの

なので、その人の読む本から、自己開示として、どういった興味を持つのかわかります。

口論、論争などになる場合は、得た知識のぶつけ合いですよね。本でも教科書でもテレビでも常識でもなんでも、持っている知識全てを使った紛争です。当事者間で解決出来ないときに調停や訴訟へ移行していきます。

┃本を読まない私の主張の理由

私の書いている記事の全ては法律事なら弁護士さんや司法書士さん、税に関することなら税理士さんや税務署に聞きます。

興味があるから読むのも良いと思いますが、本が間違っていたり、制度が変わると本を読んでも無駄手間になることがあります。(※)なので、それに携わる現職の人に聞く事で正しい知識を得ようとします。

(法律改正など。 印紙税に関して3万円から5万円に変更など、現在の最新の内容は、昔の本を読んでも間違ってるのでその部分は読むだけ無駄ですよね。歴史を知ることは出来るので無意味とは思いません。)

┃自分語り

本を沢山読む人は、バラエティが豊富になる「かも」知れないです。けど私は本を読まないですし、学歴も大学にすら行ってないのですが、「どこの大学卒業したのか?」などよく聞かれます。

言われることで大まかに書いてみると

1.発想が奇抜
2.すごくニュートラルで束縛されてない
3.冗談を話しているときは、落語を聞いているみたい

こんな感じですね。私としては法律に束縛されている思考で、法律に縛られない範囲の自由を利用していると思ってます。2番に関しては、私自身が何も知らないからだと思います。

以上のことから

全く読まないです。どんな本が流行ってるのかも知らないです。興味もないです。

もちろん本を売っているお店で待ち合わせをする時や、待合室で「興味を引くタイトル」があれば読むんですけど、興味がないので、目に入らなければ読まないです。

テレビも同じで見ません。テレビを見なくなったことには理由があって、楽しい楽しくないではなくて、周りの人が知ってるなら、同じ番組をみて共感する必要が無いと思ったから見るのやめました。見た人は「あれみた?これみた?」と聞いてきてくれるので、知らないといえば「教えてもらえます」から、見ないことで話題になるので見るのやめました。

何度も何度も同じ話しても楽しくないし、教えてもらえば話題になって、新鮮な話が聞けるからいいなー、と見るのやめました。

┃感想

本を読む、新聞を読めば頭が良くなるわけじゃないです。興味を持ったものを追求して読んでいくと、「知らない言葉」が出てきます。

(新聞屋さんすみません、小さい頃から全く読んでません。幼少時は単純に興味なくつまらない。)

興味の持てたことを調べ学ぼうとした時、知らない言葉が出てきます。「知らない言葉を理解する労力」を興味が上回った時、理解するために、その言葉の意味を調べます。辞書が本と言えば、本を読んでいるになるかもしれませんが、現代では本がなくてもインターネットでわかるようになりました。

日本語の場合はバリエーションが豊かな形容詞が多く、同義語が多いですよね。このあたりは法律用語と訴状に記載する内容から私はより知ることができました。

沢山の本を読んでいても、法律用語がさっぱりな人も当然いますよね。沢山の本を読むより、先に法律を知るほうが良いのかも、なんて思ったりもします。色んな人の主張をインプットすることは、当事者本人に主軸がないからフラフラしてしまうので、主軸を作るために常識よりも優先される法律を学ぶほうが不安定な状態、ダブルスタンダードになることも防げ、安定するかもしれません。

聞く耳をもつ必要がない主張であっても、相手の権利を知ることは、自分の権利を知る結果になります。そして、どこからNoと言えるのかもハッキリ明確にわかりますよね。主軸として持つべき教養、教育は法律の触りの部分に盛り込まれていると私は思います。

ただ、一番身近なはずの法律は、意外と知らずに「誤った常識」で片付けて生きていけたりもします。それは周りが知らないからです。常識より優先順位の高い法律を知らず、常識を語る人は多いですよね。

┃頭でっかち、盲信からのトラブル

心理、行動学、法律、簿記など勉強もし続けていますが、大事なことって学んだものに固執しないことも重要と思います。

私の大好きなソクラテスの無知の知を知らない人も多いようで、

1.テレビで言っていたから
2.誰かが言っていたから
3.本に書いてあったから

という様々な「合理的ではない弱い根拠」で意固地になって人の話を聞けず、間違いや不和を起こす人は跡を絶ちません。

┃可謬主義(かびゅうしゅぎ)

私のおすすめです。

可謬主義とは、「知識についてのあらゆる主張は、原理的には誤りうる」ということなので、学んだこと、誰かが言っていたこと、テレビが報道したこと、当然と思われている全てが不変で絶対ではなく、後々で変わることもありえるという話ですね。(歴史認識や年表などなど)

本を読む、テレビを見る、学ぶ。それら全ては前段階として、可謬主義を知ることが良いと思います。

可謬主義を知った上で読解力(リテラシー)を持たないと、書いてあること、報道されているものを鵜呑みにし、読解した結果、間違いを疑うことすらなく、酷いとその情報を妄信し固執したままトラブルを起こすこともありえますよね。

┃論理的思考

の本などもありますが、論理的思考を持っていた場合でも解決が難しいものはあります。

一番目立った致命的なトラブルでは、「強迫神経症」という病気患ってる人でした。上記の通り、固執しています。根拠はありません。(もちろん病気なので仕方ないのですが、職場に病気を隠して入社した人で、出来上がってる仕事、流れに「自分が不安だから、相手にもさせたい」「配置1つも気になって仕方ない」「退社時間になっても気になって4時間5時間残業をしている」など余計な確認作業など散々増やして、職員全てを疲弊させることに一躍した人です。私が退職するまでに4人退職し、私が退職後も知人は退職し残っている人は、強迫神経症と関わらない役職くらいです。)

結局は、必要とするものを「藁にもすがる」ように読むことになるか、好奇心と興味から読むかですが、この一例にあるような「強迫神経症」の対応、対策は本を読んでもどうにもなりませんよね。

強迫神経症の場合は、ステージによって生活保護受給に該当します。そういった人を論理的思考を持つ決定権を持つものが判断する能力があれば良いですが、ない場合は「人がいつかない職場」に生まれ変わり、衰退を辿ります。

結局は「事実は小説より奇なり」です。本を読んでも対した役になんて立ちません。

というように、私は読書家だから凄いとは思えません。読書は娯楽であり、趣味とみています。

投稿者: みずがめ座

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