判断に必要なもの、材料についてです。
┃判断とは
考えをまとめて、選択することや、分けることです。
┃材料
合理性の部分では
過去のケース、現在の状態、想定できる未来
相手の立場や主張、自身の立場と主張、客観的に観た社会性など。
┃判断がつかない場合
無知であること。未経験であること。
そして、一番面倒くさい感情ですね。
┃判断の結果
後悔しないことは無いです。
合理性を追求し、論理的思考を以て必要な判断を下し、行動を伴っても、感性が豊かな人ほど後悔や後味の悪さを感じます。
合理性と感情論は平行線を辿ることしかありません。結局頼るべきは、民法上のものであったりするのですが、やむを得ないとは言え、後味の悪さを残す問題はとても多くあります。
どこまで許容できるのか?については、自身の能力によります。例えば完璧超人な憧れな人が私にはいますが、その人は完璧ですが、姻戚関係の人がダメすぎて、親族の学費を数百万負担してあげている人もいます。
感情からの判断によるもので、合理的な見方でいえば、「自業自得、自分でなんとかしなよ」で終わるものですが、それもヒトらしさなんですよね。
逆に合理的に切り捨てられたとして、その結果は本人がなんとかするかもしれませんし、なんともできないかもしれません。理由はどうあれ、助けた結果、再度繰り返すこともあります。助けたからこそ、「また助けてもらえると思い」繰り返されることもあります。
合理的な判断をした結果、付き合いが壊れる損がでること
感情的な判断をした結果、経済的損害がでること
どちらをとっても後悔など、後味が悪いものばかりです。
私は自分自身の親族も切り捨てています。感情に訴えることしかしない人がいて、数え切れないくらい繰り返したためです。
今では負担も何もなく、気楽でストレスもなくなりました。それが正しいのか間違っているのかはわかりませんが、それだけ負担してあげられるほどの能力が私には無いので、仕方がないと割り切っています。
後味は勿論最低最悪です。