本 新聞 読んでも 頭は良くならない

目的によりますよね。

 

┃前提

何のために読むのか、何に活かすのかが大切なことですよね。

頭が良くなりたいから読むのは始まり方が頭悪いので違います。頭が良い人が読書家のことはありますが、頭をよくするために読んでいる人はいないのではないでしょうか。

頭をよくするために読むという意識は、無駄な努力、努力の方向音痴に該当します。

│新聞が正しい根拠は?

まず情報を適当に分析し、自分の頭で考え分析する能力=メディアリテラシーがない場合、受け売りだけの中身が空です。

新聞が実しやかに扇動して記載している内容。実際に正しいのでしょうか。

新聞を作っている人、書いている記者自体も真偽を判断し精査する能力、裏付けをとることをしているのでしょうか。

・新聞に書いてあるから
・テレビでやっていたから
・本にあったから

上記を根拠にする判断は言い訳の言葉で根拠になりません。頭の悪さを自ら立証していることになります。

実際に誤っていたこと、誤報もあることを前提に「自身で判断」が出来ない人がよく使う言葉です。

新聞屋さんとしては、新聞を読むことで活字に触れて、頭をよくしようなど洗脳、扇動しやすくする+経営、利益のため書いてますが、新聞を全て隅々まで読めば頭良くなるとは到底思えません。

新聞を読んでいる頭が良い人ってどんな人がいますか?教えてください。

┃読書の中身が優劣を分ける

読書家と言っても、漫画という妄想世界を読みふけっていても頭がよくなる要素は著しく低いのではないでしょうか?

例えば、様々な国家資格の本を読みふけり、多種多様な資格を取り、心理学や行動学の学術書も読みふけり、民法や刑法、商法や税金関連の本を読んでいる場合、こういった人は勉強熱心な読書家だと私は思います。そしてこれらは発揮できる場がいくつも想定できるため、我が身を救うものでもあるため、頭が良いとも私は感じます。

ですが逆に、こういったものではなく様々な著者のエッセイ(著者の主観や経験に基づいた何の根拠もない意見)を読んだところで、意見に触れることはできますが、それはその著者だから実行できることであり、読んだ人が同じことをできるわけではありません。憧れて読むのも良いですが、同じ条件(能力がない)で実行ができない上では身の程知らずで終わってしまいやすいため、そういった部分も含め、一部の読書家は頭が悪いと評されてしまうのではないでしょうか。

例えば、周りの目を気にしない生き方という本があれば、
・周りの助けが必要ない人
・助けがなくても自力でできる人

という前提があるはずです。またはお金があることで、助けを買うことができるから「周りの目を気にしない生き方」ができます。

お金もなく、能力もなければ、助けてもらう生き方が必須になりますが、周りの目を気にせず迷惑をかけることも気にせず実行をすれば、当然損害を与える迷惑な人なので、そんな人に関わりたく思う人はいないため、結果として孤立して助けを得られず困窮する未来になるのは簡単に予見できちゃいますよね。

自分自身の能力と著者の能力の違いを理解が出来ればまだいいですが、その理解もできず、著者と同じ生き方をしようとして失敗していれば、頭が悪いじゃすまないかもしれません。

┃無駄な努力とは?

「求める結果」に応じた「必要では無い」ことなどです。

本を読んで結果を求めるのではなく、求める結果のために必要なものを知る、調べる、行うことが通常です。

目的のための過程に必要な読書が基本ですが、頭がよくなるために読むというのなら過程のための目的です。

趣味としてしている読書ならそれはそれでいいと思います。頭を良くしたいから読んでもその時点で頭が悪いです。

例えば学校の勉強のため「教科書の内容全て」を「ノートに丸写し」を3回したけど、テストで全く点数とれず泣いた話なんてものをみました。無駄な努力ですよね。理解じゃないですからね。

相手を喜ばせるために、「相手の希望を調べず」自分の主観だけで全て決めてしまうのもそうですね。喜ばせたい相手のためなら相手の希望を叶えるべきで、自分の主観で勝手に決めて押し付けることは「押し売り」で「押し付け」でいかに苦労しようが努力しようが全く無駄です。

美味しい料理を作るために、お皿を作るなんてことも努力の方向音痴の筆頭です。

┃順序が違う読書家が評価を悪くする

「ニワトリが欲しいから卵を買っても」仕方ないですし、「卵がほしいからニワトリを買っても」仕方ないですよね。

卵がほしいなら卵買いましょう。

漠然と頭が良くなりたくて本を読んだとしても、選ぶ人の趣味や興味に偏った知識にしかならないので広く頭が良いにはなりませんよね。ベストセラーから選んだとしても、それは読書を良くする人たちの間では皆知っていることで特筆したものにはなりませんよね。

頭が良くなりたいから読む=頭が悪いです。自分自身で読書家を自称する人は何のために自称するのかよくわかりません。

少なくとも、頭の良いと評される人は自ら読書家であることを公言しないのではないでしょうか。必要もないですし、余計なことを言って負担が増えるだけなのが目に見えているわけですから。

┃体験談やその他を読んでも、

テレビドラマや漫画等、娯楽を観ていることと同じです。本を読んだ所で同じ経験をすることはできないですし、著者と同じ能力に満たないのなら実践しようとしてもできません。

自分がしたいこと、することの必要なものを調べる、行うために必要な参考書やその他が必要になりますが、特に勉強以外な娯楽な本に頭をよくする要素は非常に薄いです。

┃読書はただの趣味

Youtubeみることやファッション雑誌みることやウィンドウショッピングすること、ベースボールやサッカーと同じです。

勉強は、勉めることを強いるもので、苦です。そうじゃないと言う人もいますが、それは興味に転嫁できている成功者の主観からで基本は苦の人が大多数です。

趣味として行う読書は、自分自身で楽しむためにしていることが多く、勉強での苦と違い頭が良くなるためにしているわけではないです。頭をよくするためにしていない、濫読家(らんどくか)は頭が良い人が多いと思います。

┃読書で得た知恵のアウトプット

沢山の経験や知識を得ても、
・発揮する場がその人の居場所ではなかったり
・発言権がない場合や
・発言できる能力もなければ

無駄な努力です。活かせるものを得なければ、無駄な努力、時間の浪費に終わります。

┃頭が良い人は

頭が良くなろうとしてなっていないと思います。我道進んでる人が多い傾向に感じます。必要なものを取り入れる、必要なことを行い、結果的に周りからそういった評価がついてきてしまった人で、ある意味では損をしています。

損をしている理由は、過剰に期待されている場合もあるからで、そうなろうとしていない人が頭が良いと評されています。

┃頭が良くなりたい人は

承認欲求の塊です。けどいくら望んでも、自分が頭が良いと思っても、なりたいと思っても、活躍する場も活かせる場面も無ければ、評価にならないので、ふさわしい場所に応じた知恵や行動力を得なければ、いつまでたっても頭が良いという評価も得られません。

目標を手に入れ、その目標のために必要なもの全てを手に入れるようにすることが近道かもしれません。だいたいのことの全てを全て自分ができるようになった時、気がついたら勝手に一目置かれていたり「出来る人」と評価になるかもしれません。

その評価でもタイトルに沿った、頭が良い人にはまだならないので、必要なことを学ぶついでに深い知識欲をみたし、偏らず中立的に様々な見識をかき集めていると、よく相談(頼られる)されるようになっているようです。

相談されている人の特徴でみると、物事の見方が目の前の一つではなく、俯瞰的よりも更に広く鳥瞰があることで先の先を見通しているからだと私は感じます。

│リテラシーも必要?

自称読書家の頭の悪い人は、「こうあったから」など根拠不十分な主張が多い印象です。

調べているわけじゃないんですよね。読んで書いてある事の受け売りでその情報や研究の結果に対する信頼性を確認しないまま「こうかいてあったからこうなんだ!」という主張。

この主張はまともだと思いますか?

中高年層の人がテレビが言うことを鵜呑みに信じて誤っているのと同じように読書家の中でもおかしな人は同じように偏ったものを根拠にしています。

┃この記事を見に来る人は…

疑問を持っているのは確かのようです。

・只の読書は頭よくならない
・読書家 頭悪い
・新聞を読むと頭が良くなる

肯定的なワードは1割くらいで否定的なワードは9割くらいです。

私自身は特別読書家を批判するつもりも無いのですが違和感を覚えていたので記事にしました。批判を恐れて言い逃れの追記をしてるわけじゃなく、違う考えの人がいることは当然で批判されることも当然と考えています。

違和感を覚えていた内容というのは小学生時代ですね。母が読んでいた新聞に「新聞を読むと頭が良くなるって書いてあるから読め」と強要された思い出があります。

結果として頭よくなったの?といえば、当時読んだ新聞の内容も覚えてません。勉強は私は出来ないほうだと思います。母には申し訳ないですが私の頭をよくしようと慮って読ませた結果、よくなってないです、すみません。逆に新聞嫌いになった記憶があります。

マーケティングで考えれば幼少期から洗脳教育として新聞を読ませ、新聞社の都合が良い思想や情報で扇動をする機会を増やす習慣化っていう目的が結果として達成できなかったのもありますよね。この点良かったのか悪かったのかわかりませんが無駄なお金を捨てていないという意味じゃ良かったと思います。

自分自身に必要だと感じたものは貪欲に吸収できるのですが、興味がないもの、学ぶ意義を感じないものはきついですよね。誰だってそうだと思います。人生が暇になれば暇つぶしに何かを学ぼうと進んでいけるのだと思いますが、中々現役世代で暇がないとそんな余暇がないので、学ぶための読書を手広くはできないですよね。

というわけで「読書をしているから頭がいい」は成立しないと思うこと、そして「新聞を読むと頭がいい」も成立しないと思うんですよね。

何よりも検索してこられる方の9割は読書家、新聞に対して否定的です。実際読書家の人が勉学のための読書をしていれば頭が良いに向かっていると思いますが、それ以外の趣味趣向に偏った娯楽の本を読んでいるからといって頭良いわけじゃ、ないですよねぇ・・・。あなたの周りに読書家で頭が良い人はいますか?私の学生時代や社会人になった現在、事業主になってからの交友関係に頭がいいなーと思える自称読書家の人は一人もいません。

私の頭の悪さがこのHPに滲み出ている通り、私は全く読書をしません。私の家にある本は、掃除したら出てきた民法の本の1冊しか現在ありません。ワードやエクセル、アクセスの参考書やJavaやCの参考書はありましたが邪魔くさいのでずいぶん前に捨てています。

新聞は学生時代からずっと読んでいません。

 

投稿者: みずがめ座

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