常識 良識 正義 悪

タイトルを自信にする生き方は危ないです。

 

┃常識と良識とは

教えるのは、道徳や周りの大人が無垢な子どもを「洗脳」するものです。

周りが赤信号で渡っているから、問題ないと考えるようなものと同じです。

私は常識と良識はわかりません。人によって言うことが全く相対的、正反対であるためです。

なので私は常識でしょう、良識の問題でしょう、という曖昧な言葉で相手にとってわからない言葉の意味で片付けるようなことはしません。正反対に相手方は常識や良識という言葉で強引に言いくるめようとすることがありますが、常識と良識の抽象性を理解している人には通じません。

┃正義と悪

これは概念です。

正義と悪という言葉は対義語でもあり、言い換えれば「良いことと悪いこと」です。

┃良いこと悪いこと

あなたにとって良いことが、私にとって良いことでしょうか?また逆も同じです。

良い人とは、「都合が良い人」です。悪い人とは「都合が悪い人」です。

┃戦争・論争・闘争

どちらも自身に正義があると疑えません。省みることができない、または利益を目的としているからです。

「我々が正義である」と鼓舞し、戦いを先導する者(国)があります。

「こちらは悪である」という鼓舞の仕方は聞いたことがありません。

┃学校教育では

道徳の授業はありますが、法学を学んだ人が子へ諭しているわけではありません。

法学出身者、弁護士資格を持つ教育者のNEWSは見たことありますが、NEWSになる程、社会性をもった人が教育者になっていない現実があります。

上記リンクは弁護士の高校教師です。

┃人が持つ自信とは

「自分が正義であり正しい」という根拠による主張です。

正義の定義、悪の定義は、国、信条、宗教、思想により各々違います。今も戦争が続くのはそういうことですし、戦争を防ぐために他国の内政に干渉しないのもあると思います。

┃あなたは何に自信を持っていますか?

私は何にも自信を持っていません。自信にする根拠は「個人として持つことができないもの」と考えているからです。

私は正義と悪、常識と良識という言葉で決めつけません。

「勝てば官軍負ければ賊軍」という言葉を借りるなら、より力を持つほうが正義になりますが、そうとは思わないからです。

┃私の考え方、思想は

可謬主義者(かびゅうしゅぎ)です

可謬主義(かびゅうしゅぎ、英: Fallibilism)は、「知識についてのあらゆる主張は、原理的には誤りうる」という哲学上の学説。知識が絶対に確実であることは不可能であるとまで論じる可謬主義者たちもいる

また、無知の知(問答法)を自分によく行います。

┃無知を罪とする考え

こういったものもありますが、私はそうは考えていません。

知る機会を提供し、考え、自身を省みて、成長ができます。

無知であることを自認せず、聞こえの良い言葉で扇動する行為は、悪とは思いませんが、害と思います。

害である理由は、大人が子どもへ行う洗脳と同義であり、「自分自身で判断し選択、行動をする」自立を妨げるからです。

教育と子育て

投稿者: みずがめ座

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