法律は正義ではない

題名の通りです。

 

┃法律の考え方

正義か悪かで考える人も多いですよね。

法律はルールです。何のために存在するのかは、「悪を」裁くためではありません。

┃裁くとは

辞書にもありますし、検索すればでてきますが、

仲裁する

┃仲裁とは

仲裁(ちゅうさい)とは、当事者の合意(仲裁合意)に基づき、第三者(仲裁人)の判断(仲裁判断)による紛争解決を行う手続をいう。 裁判外紛争解決手続(ADR)の一種。 仲裁判断は確定判決と同じ効力があり、当事者は拒否することができない。

┃法律の目的・裁判とは

上記をみて辞書を読み、裁判所、簡易裁判所、役所の弁護士相談、法テラスの弁護士相談にて確認小学生でもできる簡単で可能なことですが、確認をとることや、考えれば、あなたの思い込みや錯誤は解決したでしょうか?

目的は、「事件の真相、事実、真実を解明」することや「犯人を処罰」ではありません。

仲裁にあたり、それ以上の争いを終わらせることです。当事者は納得できなければ上告し続けても、最高裁までもつれ込み、当事者の片方が納得できなくとも、棄却されますよね。

そして拒否をすることができません。

共存社会における、発展と安定に寄与する目的と「私は捉えています。」

なので、報復行為、私刑(リンチ)が発生しないように定めています。それが発生する状態、制止しても止まらない時、「社会の安定と発展」が阻害されるので制限(拘留、懲役)が課されます。

┃結果としてのお話

判決を拒否できず、棄却される人は当然満足できません。

だからといって、双方にとっては同じ「平等」な共存社会秩序維持のための結果です。判決の出し方の前提が、悪を断罪することではなく共存社会の安定と発展に寄与をする目的といわれれば、勝手に勘違いしてる人は、目的、意義を理解できていないのですから、理解も納得もできるわけがありませんからね。馬鹿にもしませんし自然なことだと思います。

ただし法律や裁判に関しては、隠された内容ではなく、公開され誰でも任意にいつでも知ることができることです。その知る機会を放棄し学ぶことをしないのは、学ばない本人の過失のため、「法の不知はこれを許さず」として免責されません。

許さないという範囲も、罪を免除しませんということで法が無知の人を私刑にするわけではありません。「秩序維持のために適当な罰を与える」です。

┃裁くことの目的

個人のためになんてしてるわけじゃありませんよ。他の事例が発生した時のために、社会の安定と発展のために参考にしていることです。

個人間の問題だけを解決するのなら、心裡留保や当事者の心持ち、相手側の考えや行動、これらも個別にするべきなのですから、判例を参考にすることは不適当ではないでしょうか?

判例と参考にする適当である合理的理由は、どちらかに肩入れすることでもなく社会秩序の維持、安定と発展に寄与する目的を持つからではないでしょうか

┃私刑行為とは

裁くではないです。裁くとは仲裁なのですから。

仲裁ではなく、気持ちの問題で相手方を傷つける加害行為を与え、「鬱憤を晴らしている」だけで、それは報復行為です。

現在日本では報復行為、敵討ち禁止になっています。私刑ですからね。

敵討ちを容認すれば、いつまで経っても双方の間で復讐を繰り返し抗争は終わらず、安定と発展から遠ざかります。

┃法律に従わないということは

これまでの歴史の中で作られた秩序維持、社会の安定、共存社会、発展を拒否することです。

それは、個人同士の幼い無様な喧嘩、敵対で収まらず、共存社会の秩序を乱す「独りよがり」のわがままです。

組織的に行う場合は、社会秩序を著しく乱す行為ですよね。

※加筆

┃人が法を守る必要

これまでの安定と発展を願って作られた秩序を守るためだと思います。

知らないことで守れていない時、教える(警告)ことも必要だと思います。

┃法は人を守れない

法は生きているとは思いますが、抑制力はありません。

ある見方では、「どのような愚かな人」であっても、懲罰という「損害」から損得勘定にて踏みとどまれるという意見もあります。

その考えも否定はしません。それはその通りの側面もあると思います。言い方はどうであれ、心持ちがどうであれ、踏みとどまらせることは、安定と発展を願う秩序では、思想の自由も認めるため、ダメとも悪いとも思いません。

┃妨げられない時はある

秩序に反する、法に反すると自認していても、それでも構わないと考えることは、勿論あると思います。

死刑反対派弁護士が自身の家族を殺害され、死刑賛成派に転じることもおかしなこととは思いません。

秩序の問題、裁くとは仲裁で被害者感情のための私刑ではないこと。これから考えれば。おかしいと言う人もいるのも理解出来ますが、残された遺族の家族や兄弟の感情を勘案すれば、「変わらず反対派」であっても「立場として転じる必要」もあるかもしれません。

自分がどうなったとしても、構わないという気持ちは、賛成することが出来ないこともあるでしょうが、その止められる本人が「受け入れる覚悟」を以て「実行をする」のなら私は、潔いと思います。

その気持や悲しみも私は理解が出来ます。納得はしませんし賛成もしません。

投稿者: みずがめ座

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