キツイ口調を抑える方法 間違い

LINEで尋ねられました。

 

│はじめに

キツイ口調になるのは、
・余裕がないこと
・社会性が未熟であること
・論理で考えられないこと
・感情的判断に偏ってること
・自制心の欠如

だと思います。場面によっては「自覚させるため、してもらうため」に必要以上のトラブル回避のためにキツくする必要はあります。故意にしている場合などですね。

以下、聞いた内容であげられている「抑える方法の問題点」を記載していきます。

│【キツイ口調を抑える方法】

この方法は「曲論・邪論」が含まれています。

☆まずは肯定
・ゆっくり話す
☆早く反応しない
☆正論が正しいとは限らない
・言わなくていいことは言わない
☆弱点をつかない、探さない
・話を素直に聞く
☆疑問を持ち過ぎない
・断定系を使わないで提案するような疑問系を使う

この☆の通りにすると、「保身目的のキツイ口調の抑え方」が結果として大きな損害を生み出す結果を招く予見が容易いので、「☆の通りにはしない」ほうが良いです。

相手の主張する内容に対して全く関係のない第三者という立場で「心理誘導して好かれるため」には、「☆の項目」はありです。

相手と話す件に対して、あなた自身が関係のある当事者的立場、責任が及ぶ、被害を被る立場では、一切通じないどころか、逆にトラブル、被害を拡大する予見しかありません。

│まずは肯定

何でもかんでも肯定はしたらいけません。してはいけない理由としては、行動学における強化になります。

間違っているものでも「まずは肯定」してしまうなら、誤りを強化してしまいます。

結果として、根本的に同じ原因の誤りから、形を変えたトラブルをずっと生み出す人を作り出すこともありえます。


さっき人殺してきたんだ!
へー、そうなんだ。気持ちわかるー(まずは肯定)

極端ですけどこんな内容ですよ。作った人は、読み手がその程度の思慮判断は出来ると思っているのかもしれませんが、誤りなく適切で正しい判断が出来る人は、常識や良識で判断せず、法的判断(社会性がある人)が下せる人だけです。

│ゆっくり話す

この部分はそのとおりだと思います。相手によっては、どんどん大声になり、高圧的な態度になりつつ、早口になる人は沢山います。

自分自身ではゆっくり話すことを心がけても、

・相手が話を遮って大声を出す
:同じことを何度も言う必要が発生

があります。私もこれはイライラしますが、相手の様子次第ではその場で対応せず、書面、メール、ライン、スカイプでやりとりにする等提案し、しっかり主張を残す形、責任の所在が明らかになるようにする前提を崩しません。

自分自身に責任が及ばないように対応対策ができれば余裕を失いません。

│早く反応しない

これは私には意味不明でした。逆に返事が遅いことで相手から叱責されることもありますし、反応しない=見過ごすにもなりえるので、よくわかりません。

反応をせず黙って聞くと人によっては「言い返すことがない、自分が正しいから言い返せない」と錯誤する人もいます。こういった相手の場合は、誤った主張の都度、方向修正をしないと誤った判断によって誤った思い込みが大きく、被害が増えることがあります。

│正論が正しいとは限らない

これ面白いですよね、何故かこの「正論が正しいとは限らない」という言葉は、決まり文句のように思考停止して使う人多いです。

正論は正しいですよ。なぜなら正論なのですから。正論が正しくないのなら、「正論」ではないです。邪論や曲論と呼びます。日本語わかりますか?という気持ちにいつもなります。

また、しっかりした論理的思考による考察を排除して、不適切に正論=道理を無視した結論を出す(許容する)と、もっと面倒な問題が生まれます。日本らしいといえば日本らしいのですが、不正やその他が蔓延り発生しやすくなったりすることは、この言葉(正しいとは限らない)を都合よく使い「自分本位」に保身に走る人がいる(許容する)結果だと私は感じます。よく見ます。

この正論=道理を捻じ曲げるということは、規則、秩序、ルールを捻じ曲げることです。

「正論が正しいとは限らない」というこの言葉、ぜひ裁判になり、加害者として罪に問われることがあり次第使ってみてください。裁判官や裁判長の判決を読んでみたいです。

ルール、秩序を捻じ曲げて、誤った人を許容したときに、ちゃんと守る人どうなるんでしょうか?ちゃんと出来ない人と出来る人で分け、区別しなければ、「ちゃんとするだけ損」です。

色々思い当たりませんか?有給休暇や課題・宿題や担当でも当番でも、身の回りにも沢山ありふれているはずですよ。仕事では、無能と有能が同じ給与なら、有能はがんばる意義を失います。学校なら課題や宿題をこなしても、こなさなかった人が許されるなら、ちゃんとしない人を生み出しますよね。頑張っても頑張らない人と同じ評価なら損じゃないですか?

守ることが馬鹿らしくなり、秩序崩壊しますよ。

正論はしっかり言わないと、あなた自身も立場を悪く(幇助犯に)なりえますし、あなたを取り巻く環境自体悪くします。

│言わなくていいことは言わない

件に関係ないことは言ってはいけませんね。

 

話題を逸らすようなことをすれば、相手が怒りだすのも至極当然なので、議題のものだけ話しましょう。

この記事のタイトルの「キツイ口調」であること言うことも「言わなくて良いこと」でしょうねぇ。話が脱線して徒労するだけでしょう。☆の部分がなければ私もここまで書く必要も感じていないと思います。

│弱点をつかない、探さない

この弱点というのは、議題における問題点なので、それを指摘しないで放っておくって、失錯ですよね。(するべきことをしないこと)

なんのために話をしているのか?だと相手への配慮で「必要なことを言わないというのは自分のため」にしかなりえないのですが、自分自身に一切関係のない話では通じるかもしれません。

自分自身にも関与ある議題ならトラブルに「巻き込まれ」「被害を甚大」にする予見ありませんか?

この「弱点をつかない、探さない」の項目も意味がわかりません。例えば、相手が骨折しているとして、話してるときに骨折している箇所を弱点として暴力を用いて叩くというわけでは流石にないですよね?話をしている上での弱点って一体何でしょうね?私は頭が悪いのでわかりません。

もし、相手の主張の中の不合理で筋の通らない、道理のない主張を指摘することが相手の「弱点」であるのなら、不思議です。よりよくする向上心で考えれば指摘して完成度高めないのですかね?何のために話をしているのでしょうか?という感じで、さっぱり弱点という考え方になることが私にはわかりません。放っておくことこそ問題点(弱点)が後になって、トラブルとなり、相手と自分、仕事や遊び等様々な計画が頓挫をしたり、最終的には叱責の対象になってしまう予見も容易く、話をするために作った時間そのものが無駄になってしまうと思います。

難しい話ではなくても、遊びの予定1つでも内容次第で楽しくない結果を生み出すと思うのですが・・・?

│話を素直に聞く

とても大切なことですね。

話の内容よりも相手の言葉遣い(言い方)等、どうでも良い本質以外を気にして進行を妨げるのはだめですね。

例えば言葉づかいが悪い、生意気、年下年上、上下関係などなど「言わなくて良いこと」を指摘するなんてだめなんでしょうね?

│疑問を持ち過ぎない

疑問の全てを解消したほうがマシです。経験と推測の能力を使わない事、疑問を放置することは、故意(わざと)ですね。

疑問に思い予見できてしまった上で「持ちすぎない」とは「持たない」ではないです。そして持ちすぎるな=主張するな、言うな=伝えないになりますが、

故意犯という言葉を調べると勉強になると思います。

確定的故意
不確定的故意
未必的故意

3項目は読んで理解するほうが良いです。責任が及びます。

ヘレン・ケラーも疑問、疑心に関して明言を残しています。

たとえ人を疑ってしまうことがあっても、がっかりする必要はありません。

健やかな質問はその人の信念を力強いものにします。

はっきり言って、疑いの心から出発しなければ深く根ざした信念は得られません。

軽々しくよく考えもしないで信じる人は大した信念を持っていません。何ものにも揺るがない信念を持っている人は、心が血の汗を流した結果それを勝ち得たのです。

│断定系を使わないで提案するような疑問系を使う

これは、ソクラテスの問答法をしろってことでしょうか?

誤りとは思いませんが、断定してもしなくても、話して揉めるような相手はそもそも「自分が気持ちよくなれる答え」以外は求めていません。

提案しても烈火のごとく感情的になるだけの人はいるんですよね。やっぱり余裕の問題かもしれません。

または、感情的になることで思い通りになった経験から「わがまま」であることを認識できておらず、「社会で通じる」と考えていたり、痛い目にあったことがないのかもしれません。

自分の思っている・考えた方法以外=自分を否定されている、とでも思ってるような感じなのかもしれませんね。これは年齢や性差に固執している人も多く感じます。

 

│何より先に自制心と論理を。

私はよく謝罪をされる側の立場で、よく相手に伝える言葉があります。

「怒ったりゴネたりしてなんとかなるならそうするけど、ならないでしょ、怒っても落ち込んでもすることは何も変わらないから楽しくやりましょうw」と笑いながら言います。

もちろん、相手には「申し訳ありません、すみません」と何度も何度もしつこく言われるのですが、私は謝罪を求めておらず、「損害を補償してね、復旧してね」ということのみ伝え必ず解決してもらいます。それが法令上も含めて通ることを理解していることから、「自分が損を押し付けられることがない」と理解しているので不安もなく楽しく笑っていられる余裕があります。

もちろんおかしい人もいますが、法令上の話で9割片付きます。残り1割は例外なので割愛します。

 

│そもそもは…

キツイ口調になりやすい状態=損害を受けている被害者的立場なのでは?とも私は思います。

全く関係ない、知りもしない第三者の話で自分に損害がこなければ、どうでもいいですからね。関係なくても明らかに悪いことや損失が予見できれば窘める(反省を促す)ことはあるかもしれません。

けど、損害を受ける立場ではなくても「上下関係や考えの違い」で言う人も、たしかにいますね。

体育会系の先輩に、「あなたこの子より先輩なんだからおごってあげなさいよ」と言われ、「じゃあ、私は先輩に奢ってもらったことがないので!この場は先輩にお譲りして、この子と私の分もださせてあげますねw」と返したことあります。

「先輩は教師になりたいらしいけど、強要罪も知らないなら教師には向いてないんじゃない?」とはっきり言って生きてきています。間違っている相手は尻尾巻いて逃げますよ。

│個人的な疑問

意思の疎通を図ることで言葉がキツイというのは、地方出身者の方言や、乱暴な言葉づかいの意味もあるのでしょうかね?

以前、関西出身の人が「介護」の仕事をしていたところ、利用者へのキツイ口調(関西弁)を直せと言われたと相談されたことがあります。これもこれで理不尽だと相手の立場に沿えば思いますが、標準語から関西弁を比較すると「手渡し」ではなくて「投げてる」程度の違いでキツイと思う人もいるようです。

正式な場、謝罪会見などあったとしても関西弁というのも記憶にないですし、「聞きなれない違和感」の問題で仕方ないのかもしれませんね。方言はまた社会性と余裕の問題と思います。

思春期の子どもが母親をババアと言ったり、うるさい!とか、だまれ!とか、俗に言う反抗期(自我伸長期)の親子関係が不均衡な状態になっていたり、おかしくなっている場合のやり取りは自然なものですし、この「キツイ口調の抑え方」に関係があるとは思えません。

そもそも好かれる必要がないといいますか、人の顔色ばかり伺って「都合が良い人」に徹してみても、負担が増えてストレスばかりで良いことなんて何もないと私は感じます。

もちろん、高圧的な態度によるもの、心裡留保など結果的に揉めるものもありますが、何度も重畳している「社会性」という話で、口調云々より見直す優先するのは共存社会でいきるための社会性のあり方を考える必要が有るのだと思います。

│惑わされる必要はないのでは?

「相手と話している件の内容」に対して、「内容に関係ない批判」は、相手が反論できない思考力の弱さの問題なんですよね。

言う側も言われる側も双方、社会性と余裕を持ちましょう。ということで、ここの記事では「煽っているようにみえるだろうな」と思いつつも、私なりの考えで「強調目的」でちょっと強く書いてます。

口調がいくらキツくても(オマエと呼ばれても)私は気にしません。(聞いていない)態度は話す価値(時間)があるのかに帰結するので気にします。

話の中身をみることができない人に批判されても、「関係ないところに固執していても進まない相手の問題」なので気にするだけ無駄だと思います。時間を投資して相手をする価値がないです。相手はあなたとの関係や立場やその他どうでも良いところを気にしてるので無駄です。

│話して揉める相手とは

最初から相手の話を聞き入れるつもりなどなく、論理を持ち合わせていないか、感情論だけで判断をするような人だったり、「自分が気持ちよくなれる答え」以外は求めていない人だったりします。

│個人的なまとめ

・キツイ口調を抑える方法=特をするのは誰もいない

発生が予見できる内容

無能な働き者を作り出し世に放つようなものかもしれませんね。

1.誤った判断を肯定(強化)して被害・損害拡大
2.肯定されたせいで誤りを認めない理由になる(される)
3.繰り返す要素。不要な肯定により論理思考の成長の妨げ
4.相手への配慮ではなく「自分を良い人にみせる」保身
5.トラブルという台風の目を育てるだけ

「キツイ言い方をしない」ためにあげられてる点を守る結果、発生していく他者への経済的、時間的損害を助長しておいて、負担は一体誰が負うのでしょうか?

誤った肯定を通すなら、共存社会に参加させず、隔離して面倒をみる意思がなければ、皆不幸になると私はおもいます。

投稿者: みずがめ座

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