苦労したがってるからです。
│必要な苦労は別です。
必要な苦労はありますよね。他人に任せられない自分自身の問題や、お金で解決(委任)できないことです。
│必要のない苦労
高齢の画家の人がよくやっています。
一度だけ真面目に進言しましたが以降やめました。
この人が抱える必要のない苦労は、前提として
・お金はある
必要のない苦労の内訳は
・ケチ
・自分でやらないと納得できない
・判断力がない(基準を知らない)
です。この苦労の内訳は、本人が望むことなので良いと思います。なので一度だけ進言して以降やめました。
旦那さんがしていたことを認知症になってしまったことから全て自分がするようになり、絵を描く時間だけに費やしていることができなくなってしまった。人に任せていたものを自分自身でするようになったからです。
お金がない人なら委任するにも無い袖は振れないので仕方がないと思いますが、あるんですよね。
特にそれはなんとも思いませんが、この人は感情が爆発しやすく「自分はこんなに苦労しているのに!」や「あなたは苦労していないわ!」など八つ当たりをしてしまう人です。
悪い循環になっています。本当にそれが必要なのか?を考える事もしていなかったりするので、私からすると「しないでいいんじゃないですか?」ということも「本人の中では”自分がやらなければらない”」と決めつけてしまっていて、しなくてよい苦労をしています。
│人と話してみるときがつく
その他では、断って良いものを断らないで引き受けてしまう。
言えば良いのに言わないで溜めてしまう。
こんな形でしないで良い苦労をしています。
│判断ができない人も多くいる
判断の基準がもてず、相手に丸め込まれている人も多く居ますよね。
しなくて良い苦労といえば、仕事でもやらなくてよいことってあります。我慢をする必要がないこともあります。
例えば、アルバイトの子でも、「労働契約」による「所定労働日数」を気がついていない場合など。この場合は雇用契約時にしっかりと「月、水、金曜日のn時からn時」と決めていれば、それ以外の日付は全て出勤要望があっても「契約外なので拒否」でいいんですよね。
しなくてもよい苦労をしてしまう理由の筆頭は無知であること、そして多いのは心の弱さにある「拒否をした後のその後の関係性」を考えているのもよくわかりますが、そういった関係を選択したのも構築したのも本人です。知らないことも本人が原因です。
決定権が本人のみにあり他人は決めることが出来ません。
│八つ当たりが多い
よく八つ当たりで言われるものは、「私はあなたみたいに強くない」なんて言われたりもするのですが、転嫁ですよね。
出来ない人が出来る人に不満をなすりつけているだけで、そうしてみても結果は変わりませんし、必要のない苦労を背負い続けることに変わりがありません。
アインシュタインさんの「今までと同じ考えと方法で異なる結果を求めるのは狂気である」という言葉をそういった人に出会う都度伝えてみますが、論理的ではないので感情的に八つ当たりをよくされます。
│そんな時私は笑ってしまいます
私は笑い上戸なので、理不尽に八つ当たりをされるとその状況がおかしくて笑ってしまいます。相手を馬鹿にしているわけでもなく、状況が面白おかしく感じてしまうんですよね。
感覚としては、子どもを相手にしているような感じで、本当に馬鹿にしているわけではなく、純粋におかしくて仕方ないんです。
自分で勝手に苦労を選択して、どうすればいいか尋(相談)ねて、その苦労、困っている現状(結果)から原因(因縁)を探り、権利として保持している選択肢まで出してあげたときに、
デモデモダッテ
な人が多く、理不尽に「自分ができないこと」を八つ当たりされるので、わがままな子どもの面倒をみているようでおかしくて仕方ないです。
│よく考えてみてほしいこと
・本当に必要なことなのか?
・何故必要なのか?
・しない場合はどうなるのか?
・別の道はないのか?
利益や不利益を考えてみると、本当に必要ではないのにしていることって多くあると思います。無理をして引き受けてみても、その後もずっと無理を要求されて負担をして損をするのは他でもない「断れるのに引き受ける人」ですよね。
自分で勝手に思い込み、自分で勝手に背負い、自分で勝手に苦労をして、自分に限界を感じてどうしようもなくなって、他人に相談し、最終的に八つ当たりになる一連の流れが面白くて仕方ないです。なんでそんなに苦労したいんだろう?って矛盾が不思議で仕方ないです。
そのパターンの人に限って、例えば恋人関係や夫婦関係、友達関係であっても「相手に確認をしないままに」勝手に自分から苦労を選択している人がいて、悩む必要も迷う必要もないのに、「自分で作った迷宮」で迷子になっています。
出口こっちだよー!と教えてあげても、頑なに出たがらないんです。それが不思議でなんでだろう?と感じ、どうしたいのかを聞いても、「自分がどうしたいのかもわかっていない」場合があって、聞いてもらいたいだけなら何も言わずに聞いているのですが、なんとかしたがりながら「どうしようどうしよう」なので面白いです。こういった人は性別関係なく、女性だけじゃなくて男性も全く同じです。傾向としては、意思決定が苦手な人、自分で意思決定をしてきていない人に多いと感じます。
自分自身の思い込みと判断の誤りが原因で、解決方法は沢山あって、選択肢(出口)まで教えられても、わからないんでしょうね。年齢層が高まるほど「いままで」に固執してしまい(経験のない未知の選択への恐怖もあるのかもしれませんね)無駄な努力、努力の方向音痴をして最終的には「若いから」「あなたにはわからない」等、八つ当たりになることや、ポジティブに「これは人生の試練!w」と自己回答になる人や、「でもしょうがないか・・・」と時間を無駄にしてみたり、全く無関係で無意味な理由で消化(迷子の正当化・納得)しようとしています。
楽をしようとしない限り=しないで良い苦労を続ける限り、変わらないんですけどね。
一度はしっかり話をして無理なら「苦労が好きみたいだから、そのままでいいんじゃないですか?」と声をかけて切り上げちゃいます。苦労が好きってなんだよ!って抗議うけるときも楽しいです。